(2003・02・01)
鍋もいいが・・・

私が好きな歴史上の人物は

坂本龍馬
(船中八策の内容だけでシビレる)
豊臣秀吉
(日本史上最大のサクセススト−リ−。誠三ではない)
楠正成
(日本史上最高の兵法家)
平将門
(なんだか男っぽ過ぎる)
唐の太宗
(最も若くして中国を統一した皇帝)
重耳
(宮城谷正光氏の小説を読むとたまらない)

など不粋な人が多い。そもそも英雄っていうのはそんな物なんだろう。中国では北方の塞外民族と戦った人(宋代の岳飛、漢代の衛青など)が一番の英雄になるみたいだ。
実はその塞外民族最大の王であるチンギス・ハ−ンが私の一番好きな人物だ。
彼は謎の多い男である。もっとも当時のモンゴルに文字は無い。文字が出来たのは彼の孫で元の初代皇帝フビライの時代である。だいたいモンゴル族の先祖というのは蒼き狼と白き牝鹿である。今だにそうである。この辺が凄くいい。
チンギス・ハ−ンの一族は当時世界の半分を支配してしまった。それがどれだけ凄まじい事か。モンゴルの版図に入らなかったのは日本、東南アジア、インド、アフリカ、西欧だけである。だから今でも世界中にモンゴルの血を受け継ぐ人達が居るのである。旧ソ連の国などはほとんどモンゴル系の国である。
日本では横綱がモンゴル人…偉いこっちゃ。



(2003・02・22)
日本史ファンの3分類

私は歴史が好きである。競馬本、落語本と同じくらい歴史本があるくらいだ。
日本史のファンというとだいたい次の三つに分けられる。

「源平ファン」
(主に義経)
「戦国ファン」
(織田信長・武田信玄・豊臣秀吉ぐらいかな。あまり斎藤道三が一番とか言う人は少ない)
「幕末ファン」
(龍馬と新撰組が多い。これも大久保通道が好きって言う人は知らない)

また歴史に疎い人は「卑弥呼しか知らない」とか言う。(マジだ)
ではこの三つの時代とはそんなに魅力的な時代なのか?私はこんな時代に生まれなくて良かった、と本気で思う。そう「乱世」なのである。

源平の合戦は藤原氏等による摂関政治と荘園制度が武士階級の不満を増大させた為に起こった。決して平清盛と源頼朝の覇権争いではない。

戦国時代の起こりは足利将軍の権威が弱く、守護大名を統制しきれなかったのが要因だろう。義満、義教は権勢向上に努めたが志半ばで死んでしまう。応仁の乱はきっかけに過ぎないのだ。

新撰組は格好はいいが要は「人殺し集団」である。(それも時流に逆らった)

徳川家康を評価したい。「戦国ファン」にはあまり人気の無い人だが(イメ−ジとして陰険・残酷・タヌキ親父と悪口のオンパレ−ドだ)偉い人である。単に信長・秀吉の後継者では無い。

長くなるので続きは次週に。




(2003・3・1)
そして家康公

前回の続きです。

今更ですが徳川家康を褒めます。「何も再評価する事ァねぇじゃねえか!家康のやった事は誰が見たって偉大だろ!」と反論があるでしょうが、信長・秀吉に比べて家康は人気が無さ過ぎる。信長と秀吉は派手だが最終的に天下を獲って徳川三百年の世を築いたのは家康だろう。
秀吉にできなくて家康にできたのはこの点。確かに後継者の問題もあっただろうが家康に天下を横取りされる隙があったとしか思えない。家康の様な豊臣体制のバランスを崩しかねない大大名は本来倒してしまうべきなのだろう。例えそれによって統一が遅れたにしてもそうすべきなのだ。
家康は源頼朝の大ファンだったらしい。日本史上幕府は三つ(鎌倉・室町・江戸)あるが家康の江戸幕府は前の二つの幕府の欠点を克服している。つまり内乱を未然に防いでいるのだ。有力な外様大名を辺境にやり隙を見せようものなら取り潰す。また譜代の小大名で運営する。(それでも最終的には薩長に敗れてしまうが。やはりこれも取り潰すべきだったのか)徳川三百年に大規模な戦乱は末期だけなのである。如何に家康の政策が見事だったかを物語る実証ではないか。

こう考えると三つの幕府は基より歴史というのは繋がっている。歴史を省みた人が最終的な勝利を治めている。だから歴史は面白いのだ。



(2003・3・8)
ついでに足利尊氏について考える

歴史シリ−ズは続きます。

戦前弓削道鏡と並んで足利尊氏はえらく評判の悪かった。何故かというと後醍醐天皇に対しいわゆる北朝を立てたという事からである。ちなみに弓削道鏡も皇位を狙ったという事からなのだが。
後醍醐天皇の「建武の新政」は中央集権を狙いすぎた為に失敗した。早くから官僚政治が確立されていた中国とは違い日本には公家・武家が実際の政治を行っていたため、その反発を買ったのである。
実は後醍醐天皇の評価は高い。それは鎌倉幕府という武士階級から政治の主導権を奪還し天皇親政を復活させたからである。失敗したのに…。しかも朝廷というのは軍隊を持っていなく実際に後醍醐を助けたのは武士なのである。その武士達をないがしろにしたのだ。
尊氏はその不満を持った武士達に押し出される様に反後醍醐派の代表になったと考えればよいだろう。そして北朝を立て室町幕府を興した。以後を南北朝時代と言う。
尊氏は君主ではなく代表というのがミソで、この時代政権二つ有るために大混乱に陥っている。例えば北朝に対して不満を持てば南朝につけばよく、南朝に居辛くなったら北朝に降ればよいのだ。尊氏をたきつけたのは弟の直義だが、その直義が南朝に寝返っている。これは尊氏の孫の義満の時代まで続く。
尊氏というのはどこまでもかわいそうな男なのである。「太平記」等で尊氏はお人好しに描かれている。混乱の時代に生まれなければよかったのにね。



(2003・3・15)
私的頼朝論

せっかく家康、尊氏とやってきたから鎌倉幕府の頼朝もやってみよう。
源頼朝は義朝の嫡男として生まれる。元服してすぐに平治の乱で父義朝が破れ伊豆に流されてしまう。その後は妻政子の実家である北条氏や関東の武士達をまとめあげて平氏を打倒し鎌倉幕府を建て日本で最初の武家政権ができあがる。

何故武家政権が興ったのかについては前に書いたと思うが要は武士階級に頑とした土地を保証する制度が無い為にそれを頼朝に期待する、これが一番の理由だろう。平安と称していたが時代は乱れに乱れ武士達は興るべくして興ったのである。

ちなみに頼朝もあまり後世の人に好かれていない。それは弟の義経を殺してしまったからであろう。ただ考えてみれば義経はやはり殺されて当然なのだ。義経は朝廷(後白河法皇)から官位を授かる。これがいけない。朝廷が武士の生活を保証しないからこその頼朝軍団なのに、その朝廷からしかも総大将の弟が官位を受け取るとは本末転倒である。だから殺されてしまったのだ。例えば忠臣蔵の赤穂義士に切腹を命じた柳沢吉保も後世非難を受けるが、そんな事でもしなければ世の中仇討ちばかりになってしまう。これも当然の事なのだ。
頼朝軍団は朝廷に対抗するべく組織されたのであって決して平氏の打倒を第一としたわけではない。なぜなら平氏が武士の生活を保証していれば関東の武士達は頼朝ではなく皆平氏に味方したであろうから。



(2003・6・7)
日本史はニつある?

変な事を考えていたら眠れなくなってしまった。きっとこの妄想は事実に違いないからだ。

「日本史は二つある」のだ。どういう仮説かと言うと、縄文人と弥生人は同じ日本人でありながら違う民族であるという事だ。

訳が分からないかもしれないが書いてる本人も混乱しているので勘弁していただきたい。
まず原日本人とでもいうべき縄文人のクニがあった。ご存じだろうか?縄文土器というのは1万年以上昔からある世界最古の土器なのである。おそらくかなり古い時代から狩猟採集の文化があり、クニといえるくらいの集落もあったと。古事記に出てくるオオクニノヌシの出雲王国はこの時代を支配したクニであったと思う。
そこへ農耕文化を持った弥生人が渡ってきた。おそらく九州の北部だ。この二つの文化には大きな違いがある、生産力だ。弥生人のクニはその圧倒的な国力で縄文人達を駆逐し始める。その弥生人の国こそが邪馬台国→大和朝廷なのだ。土地を追われた縄文人達はアイヌ、クマソと以後呼ばれるようになる。

何故こんな事を考えてしまったかと言うと私は神話というのは全くのフィクションではないと思っているからだ。何かあったから話が残っているのである。そうでもなきゃ史書という物である「古事記」や「日本書紀」にこんな事が書かれるのだろうか?
この仮説だと神話特に「国譲り」等が説明できるし、色々つじつまがあってくる。思わず気持ち悪くなってしまったほどだ。こんな事考えてると睡眠時間が本当に短くなります。

歴史の新しい発見を待つ。





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