(2002・07・20)
骨折その1

馬じゃなくてね。私が骨折。

そうあれは去年の7月1日。屋形船の仕事に浴衣を着て行ったS少年は、お客にだいぶ飲まされていた。ほろ酔いながらも何とか落語を喋り、余興までこなしたS少年。しかし、船の帰りもお酌されまくり。ベロベロの少年は船を降りた後、兄弟子と蕎麦屋に入る。雨上がりで濡れた雪駄でもってタイルの階段を降りるS少年。

ズルッ。

倒れまいとふんばる少年。これがいけなかった。その衝撃で左の外くるぶしを骨折。ただその時折れてるとまで思わなかった少年は翌朝、歩いて病院に行ったのだった。(続く)



(2002・07・27)
骨折その2

病院で骨折、全治4ヶ月と診断されたS少年。手術するために入院を余儀なくされる。
実家の近くの病院宛の紹介状を書いてもらい、方々へ連絡。落語協会事務所には「府中の大けやき辺りで骨折」と報告。すっかり夜遅くなってしまい、松葉杖をつきながら実家へ向かうため、京浜東北線に乗る。
ところが帰宅ラッシュにぶつかり杖ついてたって座れない。品川〜港南台を立ったまま過ごす。世間って冷たいと感じるS少年だった。(続く)



(2002・08・03)
骨折その3

骨の折れた箇所に金具をあて、ネジで止めるという手術をしたS少年は入院生活に入る。余りにも退屈で初日から文庫本4冊を読破した少年は脱出を企てる。

そう、無断外出。

でも大義名分が欲しい。そうだ本が無くなったからやむなく買いに出たことにしよう。
まだ抜糸も済んでいなかったが外へ逃げた。これから毎日散歩が始まる。ある時は本屋へ。またある時は喫茶店へ。またある時は川で遊んだりした。
しかし、いつの世も密告者はいるもの。看護婦に「外のコーヒーはおいしかった?」と聞かれ、ブラックリストに載ってしまった。(続く)



(2002・08・10)
骨折その4

ブラックリストに載ったとはいえS少年は落ち着かない。今度は仲間を集め始める。それも自分がトップに立つため年下ばかり。
当時23だった少年だが、その周りには15歳から21歳まで男女問わず揃え、朝起きて飯を食うと、自分の病室にいない。仲間の病室にいりびたるのだ。
それは夜になってもおさまらない。九時消灯の病院だったが、十時喫煙所集合という不文律が生まれ。毎日遅くまで霊安室探しなど探検が始まった。
なにしろ見回りに行ってもいない、未成年に煙草を吸わせるなど瞬く間に病院一の不良集団になってしまった。(続く)



(2002・08・17)
骨折完結編

まだまだS少年は止まらない。

すでにリハビリ室では一番うるさい集団になっていて、いつも後回しにされていたが、リハビリ科の先生に組合の幹部がいたため今度は自分を売り込む。「先生ぇ、仕事くれよ〜」を繰り返す。
ついに忘年会の余興をかち取るまでになる。

そして入院してからひと月。ついに少年に退院の日が訪れる。最後の夜は仲間たちと夜中二時まで騒ぎ、最後は探されない様ナースステーションにまでいる始末。退院間際の婦長のセリフが忘れられない。

「これでこの病棟も静かになるわ〜」


退院したからといってS少年はまだ松葉杖無しではいられない。しばらく実家にいる様になる。実家から病院までは徒歩五分。すると病院から電話がかかってくる。「お見舞いに来て〜」

暇な少年は意気揚々と見舞いに行く。それも毎日二十日間。婦長の夢はガランガラン崩れ落ちる。まだまだうるさい日々が続く。それでも仕事に戻る日はやってくる。みんな涙を流しながら送ってくれた。少年も泣いた。

ありがとう、まゆらちゃん、めぐちゃん、毛利君、関君、アキラ。骨折軍団は永遠だよ。また焼き肉行こうね。(完)



(2002・08・31)
帯状泡疹

七月末、背中にプチッとかゆみを伴うブツブツができました。しばらくするとそのブツブツは背中から胸まで体を半周しやがりました。そう帯状泡疹です。
右半身が徹底的にやられた為か肺が苦しく、また痛みまで襲ってきました。正直死ぬかと思い、遺書を書いてから医者に行きました。
医者の「これ痛ぇんだよな」の一言で痛さ倍増、余計な一言とはこういう事を言うんだな。それまで我慢してたのに…。
実家に帰り静養。三食昼寝付きと主婦の日常を満喫。しかし、家族が嫌な顔をしたので完治する前に帰ってきました。
闘病記も短いと感動が 無いです。



(2003・01・11)
新年早々

私は今病気にかかっています。
それは「いくら食べてもお腹いっぱいにならない病」

思えばその兆候は暮れからありました。
大晦日、師匠の家を掃除した後蕎麦を食べに行きました。そこでもりそばと天丼を食べました。家へ帰りなんとなくお腹が落ち着かないなと思い。餅を焼きました。まだ足りない、まだ足りないと、気付いたら10個食べていました。一応そこで止めたんですが(餅も無くなった事だし)、実はまだお腹は空いていたのです。

太っただろうとお思いでしょうが体重は全く変わっていないのです。普段から一食に二合食べる私ですが本当に最近はおかしいのです。

全て師匠のせいなのかしら。師匠は一日五食食べかねない人。量は少ないんですけど暇があれば食べたい人です。

いいんだ。師匠の食事に付き合うのも弟子の勤め。私が一手に引き受けましょう。

入船亭一門に入りたい人。まず胃袋を鍛えましょう。




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